八幡小学校

八幡小学校は、荏原郡奥沢村公立小学校「八幡学校」として明治12年12月20日に現在の奥沢神社の社寮を修理し発足しました。明治22年荏原郡玉川村「八幡尋常小学校」に、さらに昭和7年この地が東京市に編入されたことより「東京市八幡尋常小学校」となりました。昭和16年4月1日には、「八幡国民学校」と改称されました。戦後の学校改革により昭和22年4月1日に「東京都世田谷区立八幡小学校」となり、現在に至っています。平成30年度で139周年を迎えた歴史のある小学校です。

 また八幡小学校は、海外からの帰国児童や外国籍児童を迎える支援校であり、日本語指導の時間が設けられています。

ほまれの桜跡地の石標

    左の写真の石標は正門の右側下にあります。

 

 むかし、八幡小学校の校庭の真ん中に、日露戦争から無事帰還された方が植えた桜の大木がありました。「ほまれの桜」と呼ばれて親しまれていましたが、昭和33年校舎改築のためにやむなく伐採されました。この桜の苗木が子供たちに配られ、各家庭で育てられましたが、今町内で残っているのは1本だけだとか。

 

  新聞少年像

   今の理想は新聞少年だ!

 

 八幡小学校出身の東京都社会福祉協議会会長をしていた石井鉄太郎さん(当時78)が母校にブロンズの新聞少年像を寄贈されました。1971年7月19日朝校庭にて除幕式が行われました。

 像は、半ズボンの少年が元気に新聞を抱かえて走っている姿で、東大講師の彫刻家小金幾久氏(1915年~2003年)の製作。

 石井さんは、「朝早く散歩をするとき。よく新聞少年に出会って感激した。私も小さい時、魚屋の小僧をしていた。皆さんもこの少年のように健やかにたくましく生きて、りっぱな大人になってほしい」と、除幕式に参列した後輩たちに語りました。

          『読売新聞』、1971年7月20日、朝刊より