多摩川台住宅地

1丁目の町会と世田谷区の掲示板が並んで立っている隣に、ひっそりと「多摩川台住宅地」と赤文字で書かれた石標が立っています。側面には、世田谷区玉川地団協と記載されています。

この石標については、「てくたくぶっく 九品仏コース」*には、「大都会になって生活が便利になればなるほど、そこに住む人々の生活は自然から離れて体も心も弱くなります。便利な生活ができて、しかも自然の残る住宅地を作ろう」と考えた実業家 渋澤栄一氏は、大正7年(1918年)に田園調布株式会社を起こし、目蒲線田園調布駅を中心とした玉川村、調布村の土地を多摩川台住宅地として大正12年(1923年)に売り出しました。「道路・並木・電気・水道・下水道も整った田園調布が生まれました」と記載されています。その4年後(1927年)に渋谷駅ー多摩川駅が開通し、「東横線」という名称も生まれました。一昨年来「東横線90周年」とつけた緑色の電車が1編成走っています。この緑色の電車は、アオガエルと呼ばれ、本年8月末まで走るそうです。

 *世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース

  発行者 多摩川石標を守る会(旧多摩川の郷土を知る会)

  事務局 世田谷区玉川総合支所 地域振興課

  当町会内には、「誉の桜跡地}(前出)「多摩川台住宅地」

  「切り石」「玉川水道跡」の4本の石標があります。

 

大正12年に売り出されたのは、田園調布駅の線路を挟んだ両側で、その時の「多摩川台住宅地平面図」を下記に示しました。この図は、2018年東急電鉄の「ここが出発点」と題したポスターの図で、東急電鉄より提供されたものです。いろいろな面積の宅地が販売されていたことがわかります。なお緑線で囲った範囲が、現在の玉川田園調布会のエリアになります。